金色の光

雲に隠れて謎

生活

めに市販されるほ



自然はなんと巧みに他のものの形をうまく真似るのだろうと感嘆せずにはいられない。白鷺が羽を広げて舞い降りるかのような美しい鷺草の花姿は自然が創り出した芸術品と言ってよく、まさに造化の妙である。俳人・高浜虚子は
風が吹き鷺草の皆飛ぶが如
と鷺草が風に揺れる様子を詠んだ。一体どこへ飛んでゆくというのか。
人間の身勝手な論理と横暴により、この地上から消えた生き物は数知れない。本来は湿原地帯などに自生する山野草の鷺草もその一つで、一時期、環境の変化や乱獲などで殆ど姿を消してしまった。今なお環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に指定されているが、幸いにも育てやすく、よく殖えて人工増殖が容易なために市販されるほどになった。私はもっぱら鑑賞用として栽培しているが、動物に限らず植物も含めて、私たちと同じ地球家族であることを再認識しなければならないだろう。
鷺草は一本の茎に1、2個の花をつける。勘違いされている方も多いが、羽根のように見えるのは唇弁と呼ばれる部分で、後ろの2枚が花びらである。日当たりと湿り気のあるところを好み、育てるには水苔が最もよいであろう。鷺草は数本の地下茎を伸ばしてその先端に次年度の球根を形成する。今年も秋に掘り上げて春まで大切に保存し、来年もまた大空を飛翔する鷺の美しい花姿に感動を得たいものである。

生活

そこが朝早くに咲



我が家は道路に面する塀のすぐ内側に五本の木槿が立ち、そのあたりを圧倒して花が咲く。見慣れた木槿の姿にそれほど気に留めていなかったが、じっくり花を眺めると実に華やかにして、鮮やかだ。揚句はまるで我が家の木槿の花盛りの様子を知っているかのように的確に描いている。因みに最近知ったのだが、朝鮮という呼称は “朝、鮮やかに咲く木槿” に因んだものらしい。韓国では「無窮花」(ムグンファ)と呼び、国花にもなっている。
朝顔にうすきゆかりの木槿かな与謝蕪村
木槿は早朝に咲き、一日で萎んで落ちてしまう。蕪村は命のはかなさを見て詠んだ。そこが朝早くに咲いて昼までもたずに萎んでしまう朝顔との「うすきゆかり」なのである。荻人の句には勢いを感じられるが、この句は何となくうら寂しい調子で、両者の木槿に対する視線はまるで異なる。だが、木槿の花は枝の下のほうから次から次へと途切れることなく開花し、昨日咲いていた花と同じように寄り添って咲く。花は短命であっても長く咲き続けることから、むしろ逞しささえ感じさせるのだから異なって当然である。
それはそうと、木槿の花の散り方には驚かされる。これまで母が清掃していたのだが、今年の春、並ぶ木槿の間に山野草専用の花壇を造った私が落ちた花を拾う羽目になった。これまた気づかなかったのだが、まるで蕾のまま落ちてしまったのではないかと思うほど、夜のうちに花をきちんと畳んで散っている。なんと行儀の良いことかと思う。
木槿の花に感じるはかなさとは、永らえない寂しさの感情であり、人生もいつか必ず終わると知っていることから生じる。しかし、それは単に知っているだけであって、実は信じてはいないのだ。信じているなら、それこそ怠情的で余計なものを剥ぎ取った違う生き方をするはずである。詰まるところ、木槿に持つ「槿花一日の栄」の言葉から一日一日を無駄にしないで生きることの大切さを学び、加えて命の散り方まで教わっている。私の木槿に対する視線も変わり、畏敬と感謝の念を持って眺めて行きそうである。
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